ここ数日、タイのある花について調べておりました。
香りを隠す花
その花の名前は、
ซ่อนกลิ่น [sɔ̂ɔn klìn] ソーン クリン
ซ่อน [sɔ̂ɔn] ソーン = 隠す
กลิ่น [klìn] クリン = 匂い、香り
つまり、「隠し香」といったところなんですが、
なんだか意味深な名前じゃないですか。
最初、この花の名前を耳にして私が想像したのは、
- 「隠れ家」のような、人知れず存在するひっそりとした香り
- 「隠し味」のような、表立っては香らないけれど、背後でかすかに香るアクセント的な香り
というような感じで、
なんとなく憂いを含んだきれいな情景を勝手に思い浮かべていました。
きっかけはパーミーの歌
そもそも、なんでこの花のことが気になったのかというと、先日、車の中でパーミーの「ซ่อนกลิ่น(ソーンクリン)」という歌を聞いたからなんです。
ちなみに、みなさんはパーミーという歌手をご存知でしょうか。
パーミーは、ちょうど私がタイに住み始めた頃にデビューした、タイの有名な女性歌手なんです。
当時、私はタイの地方都市に住んでいたのですが、ある日、市内のお寺のお祭りへ出かけたら、仮設ステージで彼女がデビューアルバムの大ヒット曲「大声で歌いたい(อยากร้องดังดัง)」他、数曲を歌っていました。
入場無料の会場にふらっと入って行った私なんかが、既に人気歌手だった彼女の歌をステージの真ん前で聞いていたんです。
「タイって、スターとの距離感近いなあ」というのが率直な感想でした。
そんな思い出もあって、私の中でパーミーは今でも大好きな歌手の1人なんです。
脱線しましたが、ともかく、久々に彼女の曲を聞いて、ソーンクリン(香りを隠す=隠し香)という意味深な名前の花のことが、ふと気になったわけなんです。
ソーンクリンは、チューベローズだった
ソーンクリン(ซ่อนกลิ่น)は、英語ではチューベローズ(Tuberose)という花のことでした。
チューベローズと言えば、香水のトップノートとしても使われる非常に芳香性の高い花です。
夜になると更に強く香るということで、日本語では「月下香」と呼ばれたりするそうです。
花言葉は、【危険な快楽】【危険な関係】だとか。
これも強く官能的なその香りに由来しているのでしょうか・・・。
ちなみに、タイ語では、「香りを隠す」という意味の “ソーンクリン(ซ่อนกลิ่น)” という名前のほかに、“ソーンチュー(ซ่อนชู้)” という別名があります。
この “チュー(ชู้)” というのは、「情夫」という意味があり、つまり、「情夫を隠す」というふうにも捉えられるんですね。
(もともとは夫という意味合いで使われていた言葉ですが、現代では情夫というような意味でとらえられることが多い言葉です)
って、全然、想像してたような慎ましく密やかな香りじゃないじゃないですか!
(密やかってのは、ある意味間違ってはいないか…)
そもそも、この花は、己の香りを隠すことなんて到底できないレベルの芳香の持ち主なんですよね。
ほのかに香るなんていう代物ではないんです。
それがなんで「香りを隠す」なんて名前をつけられたのか?という疑問が湧きました。
それで、ちょっといろいろ調べてみたら、驚愕の事実を知ることになったんです。
自宅栽培は好まれない花
ソーンクリンの花についてネットで調べていると、タイ語掲示板のあるトピックが目に留まりました。
「ソーンクリンを自宅に植えてはいけないっていうのは本当ですか?」というものです。
その回答として、
「自分家では普通に植えているよ」
「昔の人はあまり自宅栽培は好まないかも」
「迷信とかでは?」
「いい匂いだから気にせず植えてる」
「お葬式でよく使われる花だからじゃない?」
といったような、いくつかの意見がありました。
なるほど、日本でもお葬式を連想するような花というのはいくつかあります。
白菊なんかはその代表的なものだと思うんですが、愛好家の間で菊は普通に自宅栽培されていたりするので、そこまで忌み嫌われているとは思えないものの、確かに誕生日とかの記念日やお祝いに菊の花束ってないなとも思うわけです。(あるかも知れませんが)
さらに、ソーンクリン(チューベローズ)について他のタイ語サイトもいくつか調べて行く中で、実は、私が大きな勘違いをしていたことに気付いたんです。
私は、ソーンクリンの「香りを隠す」というのは、てっきり、「花が自分自身の匂いを周りに知られないように隠す」のだと思い込んでいたのですが、そうではありませんでした。
それがある記事の中の一節でわかったんです。
"ซ่อนกลิ่นศพ"(遺体の匂いを隠す)
このフレーズを読んだ瞬間、鳥肌がたってしまいました。
弔事の花
花の名前の由来を知り(諸説あります)、一瞬、何とも言えない気持ちになったんですが、よく考えたら、タイに限らず、芳香性の高い花や樹木を葬儀に使用することは、洋の東西を問わずあることなんです。
古来、日本の葬儀や仏前、墓前には、白菊ではなく、樒(シキミ)という植物が供えられていたとのこと。
このシキミの茎や葉や実には香りがあり、臭い消しとして棺桶にシキミの葉を敷き詰めたらしいのです。
現代のように冷房設備や保存技術が発達していなかった時代を思うと、当然の知恵だったと考えられます。
と同時に、大事なのは「花には何の罪もない」ということなんですよね。
人間によって弔事で重宝されたがために、あまりよくないイメージが定着してしまい、花も迷惑していることでしょう。
ソーンクリンを探しに「パーククローン花市場」へ
ソーンクリンについて思いを巡らせていたら、どうしてもこの目で確かめたくなり、昨日、バンコク最大の生花市場である「パーククローン市場(ปากคลองตลาด)」へ行ってきました。
(ちなみに、日本語表記で「パークローン市場」と書かれていることが多いですが、私的には少し違和感を覚えます。かといって「パーククローン市場」が正解とかそういうことでもないんですけど)
実は、その前の数日間、バンコクのお寺を5、6箇所まわって、ソーンクリンが栽培されていたりしないかと探しに行ったんですが、どこにも見当たりませんでした。
私、おそらく、タイでも日本でもチューベローズの花を直に見たことがないんです。
お寺散策でも見当たらず、その辺にないとわかると、さらに見てみたい気持ちが高まって、花市場まで確かめに行くことにしたんです。(笑)
しかし、タイ中の花が集まるというパーククローン市場でもなかなか見つからず。
ほぼ端から端まで歩いて覗きましたが、ぜんぜん売っている店がなくて、半ばあきらめようかと思った時に、見つかったんです。
やっぱりと言うべきか、葬儀用の弔花を販売している店の花輪の中にあったんですね。
それで思い切って、ソーンクリンの花だけほしい旨を伝えたら、後ろから出してきてくれました。
とりあえず、たくさんの蕾をつけたしなやかな茎5本を購入しました。
おわりに
冒頭で書いたパーミーの「ソーンクリン」は、過ぎ去った恋の歌です。
忘れられない人への想い(香り)を心の奥にしまっておくという歌ですね。
ซ่อนกลิ่น - PALMY「Official Audio」
この「隠し香」と名付けられたチューベローズのことを調べていて、ふと思い出したもうひとつの歌がありました。
百人一首にも納められている有名なあの歌です。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける【紀貫之】
『人の言うことの真意は知らないけれど、花は昔のまま香っている』というような感じでしょうか。(まなお解釈です)
パーミーの「ソーンクリン」の歌詞の世界観に少し通じるところもあるかなぁと思ったり。
そして、今晩、少しほころびかけたチューベローズが、我が家のリビングで妖艶に香っています。
ではまた。