バラナシに来たらやってみたかったこと。
そのひとつに、ガンガー(ガンジス川)でボートに乗るというのがありました。
雄大な流れの上から、バラナシの町並みや聖なる河に集う人たちの営みを眺めてみたかったんです。
あと、ヒンドゥー教の神々に捧げるお祈りの儀式「プージャー」も、絶対に外せないなと。
今回は、このふたつの体験を紹介したいと思います。
ちなみに、ガンガーで沐浴というのも考えないわけではなかったんですが、今回はまだそこまでの勇気も覚悟もありませんでした。(笑)
※Varanasiという地名の日本語表記には、バラナシ、ベナレス、ワーラーナシー、ワラナシ、ヴァーラーナシー、ヴァラナシなど様々な表記が見られますが、ここでは「バラナシ」に統一します。
ボートに乗ってバラナシ見物
バラナシ初日の夕方、夕暮れ時のガンガーを眺めるために、自力で交渉したボートに友人とふたりで乗り込みました。
当初、バラナシでのボートは、日の出の頃に乗ろうと考えていたのですが、私たちが訪れた1月の半ばは、朝、霧が発生することが多く、実際に朝のフライトが悪天候のために遅れたほどでしたから、靄がかかって何も見えないボートに乗っても仕方ないということで、夕刻のボート見物にすることにしました。
貸し切りボート交渉までの経緯は、前回の記事でも少し触れています。
2人で1時間チャーターしたのは、青い色した手漕ぎの小さいボートでした。
ボート漕ぎの青年は船首で、私が船尾、そして友人がボート船央左側に座るように指示されました。
『なぜに左寄りの三角形?』と思っていたら、もう一人、青年が乗り込んできました。
そして、その彼が、友人の向かい側、船央右側に座ります。
これでバランスオッケ~♪
って、いやいや、この男誰?
一瞬、ここでも疑り深いモードに切り替わりましたが、チャーターする内容については今さっき確認したばかりですから、あまり気にしないことにしました。
岸を離れたボートは、ガンジス川をゆっくりと南上していきます。
南上という言葉、正しいのかどうかわかりませんが。
通常は北上、南下ですよね。
ヒマラヤに源を発する全長2525kmのガンジス川の中で、このバラナシのあたりだけは、川が三日月形に北行しているのだそうです。
つまり南側が上流で北側が下流になっているんです。
それはともかく。
オールがすくう水音を聞きながら、静かに眺める夕暮れ時のバラナシの町並みは、なかなか情緒があってよかったです。
日が沈みかける頃、河岸に立ち並ぶヒンドゥー教寺院やお屋敷、ホテル、家屋にはぽつりぽつりと明かりが灯り、ライトアップも始まります。
それらがまるで古代の城塞都市のように見えました。
後から乗り込んできた青年は、どうやら漕ぎ手の青年の友達らしく、そこそこ英語が上手で、ところどころ日本語の単語も交えながら、「ここは〇〇ガート、あれは××ガート」「あそこは南インドの人たちがよくお参りするお寺」「ここのガートは夫婦で沐浴すると、仲睦まじく暮らせる」「この辺りは洗濯を行う場所」などという説明をしてくれました。
また、バラナシには主に2つの火葬場があること、それぞれの火葬場の違いや、火葬の方法などについても教えてくれました。
そんな説明を聞きながらも、
『これ、後からガイド料払えとか言われるんじゃない?』
と、友達に耳打ちするくらいには警戒モードになっていた私。
自分でもなんだか歯がゆいんですが、どこまでが親切でどこまでが裏があるのかということを常に考えてしまうんですよね。
だから、半分つまんない。
仮に騙されたとしてもいいから、その場は素敵な案内に耳を傾けて、素直に感謝して楽しくやればいいじゃないか!
というふうに割り切ろうとしてるのに、完璧にはできない自分。
今回の旅行では、「お互いにギスギスするような値切り交渉はしない。多少相場より高くても気持ちよく時間を過ごせることを一番に!」と、友人とふたりで決めていたんです。
だから、このボートの価格だって、自分たちで値切ったわけではなく、彼が最初に言ってきた言い値でOKしたんです。
それが、もう一人乗り込んできたことで、とたんに猜疑心が芽生えるって。
小さいなと思います。自分でも。
というようなことをずっと考えていた・・・
わけでもなくて、ガンジス川の景色もしっかり堪能してはいたんですけどね。
楽しくなくない?
ボートに乗ったのが、17時。
もともと1時間のチャーターということでお願いしていたので、18時には岸に戻り、それから歩いてプージャーを鑑賞しに行くつもりでした。
1時間は長いなと思っていたボートですが、実際に乗って景色を楽しんでいると意外とあっという間で、ハリシュチャンドラ・ガート(青年曰く「小さい火葬場」)を過ぎ、チェート・スィン・ガートのあたりまで行ったころには、もう引き返さなければならない時間になっていました。(ホテルから上流方向だけに行った感じ)
「ボートに乗って川から見るプージャーもいいですよ。見てみたいですか?」
青年が尋ねてきました。
それを聞いて、
『あ、きたきた。2時間コースにしたいってことでしょ?』
と思った嫌な私・・・。
また、疑り深いモード再燃です。
それで、すかさず答えます。
「けっこうです。(このまま予定通り)ホテルまで帰ってください」
「OK」
青年は、それ以上強引に勧めることもありませんでした。
ところが、ホテル前のガートまで向かっている途中、ふと私の気が変わりました。
せっかくやって来たバラナシで、念願のボートに乗っているんだから、このまま水上から眺めるプージャーを体験してみるのもいいんじゃないか、と。
今日は水上から。そして明日は岸からプージャーを鑑賞すれば、違う雰囲気を2度楽しめると思ったんです。
小声で友人とも相談し、青年に聞いてみます。
「やっぱり、このままボートからプージャーを見に行ってみたい。例えば、15分だけ見て戻ってくるっていうことはできる?」
「うーん、大丈夫だけど、プージャーが始まるのは18時半からだから・・・」
(その時、時刻はまだ18時前)
「そうすると、結局2時間コースになるのか・・・」
・・・ヒソヒソヒソ・・・
「どちらでもOKだけど、お金のことばかり考えると、楽しくないよ」
お金のことばかり考えると、楽しくないよ
お金のことばかり考えると、楽しくないよ
ガーン ( ゚Д゚)
すっかり見透かされていました。
でも、そう言われて、やっと吹っ切れた気がしました。
そうだね、お金のことばかり考えると、楽しくないよね?
君の言うとおりだ!
結局、2時間コースに。
そのままホテルの前を通過して川下(北側)にあるバラナシ最大の火葬場「マニカルニカー・ガート」(青年曰く「大きい火葬場」)付近まで行って、その後、プージャーが行われる「ダシャーシュワメード・ガート」まで戻ってきて鑑賞することにしました。
プージャーを川から眺める
18時15分過ぎ、プージャーの会場であるダシャーシュワメード・ガート付近までやってきました。
既にこの辺りには手漕ぎボートやモーター付きボートがたくさんひしめき合っていました。
みんな川からプージャーを鑑賞する観光客を乗せています。
青年の話によると、ダシャーシュワメード・ガート付近にはふたつの目立つプージャーステージがありますが、川から見て向かって左手(川上)のステージが昔からある老舗のプージャーで、向かって右手(川下)のステージはここ数年前から始まった新しいプージャーグループ(?)だそうです。
我々は、新しいプージャーの前の通過して、老舗(?)のほうの前で鑑賞することに。
ボートは、流されないように、互いにロープで繋ぎ合ったりしています。
ですから、ダシャーシュワメード・ガート前の川面は、連なりあった船でできた巨大な桟橋のようになっていました。
その船の桟橋を、チャイや花びらの灯篭を売る人たちが渡り歩いています。
これ、みんなボートの上ですからね。
時々、ブレーキ加減を間違えた中型船が勢いよく突っ込んでくると、船同士が玉突き状態になってしまうことがありました。
我々の木の葉のようなボートは、船と船との板挟みになって、木っ端みじんになってしまうのではないかとビビッてしまうのですが、そういう時には、ボート漕ぎの青年が両手と両足を盾にして、身体を張って両隣のボートを引き離してくれるんです。
「あなたたちは私の客だから、私が守る!」って。
きゅん。
惚れてしまいそうになりました。(笑)
川から見るプージャーは、青年の言う通り、なかなか興味深いものでしたが、我々のボートが出遅れたせいもあって(というのも、私の決心が遅かったから・・・汗)、少しステージから遠い位置にしか船をつけることができず、若干迫力に欠ける気もしました。
30分ほど船上からプージャーを鑑賞して、完全に終わる少し前に引き上げてもらうことにしました。
このおびただしい数の船を見ていると、終了時の大混雑が目に見えていたからです。
そのおかげで特に大きな混乱もなく、無事にホテル前のガートまで戻ってくることができました。
ボートを降りる際に、
「楽しかったですか?」と尋ねられ、
「楽しかった!ありがとう」と答えると、
英語でいろいろ説明してくれた青年は微笑んで、そのまま岸で待機していた仲間の方へ歩いて行きました。
私たちは、ボート漕ぎの青年に改めてお礼を言って、2時間分のボート代と心ばかりのチップを渡してホテルに戻りました。
なんだか、いろいろ考えさせられた1日でした。
おわりに
インドは手強い国です。
油断してはいけません。
日本語で話しかけてくる輩は、まず怪しまなければなりません。
日本人をカモにして騙そうとする輩がいっぱいいるんです。
用心するに越したことはありません。
最後に足元をすくわれることだってあるかも知れませんから。
それは、ある意味、間違いではないでしょう。
でも、疑ってばかりいると、半分つまらないことも事実です。
ではまた。