バラナシは、ヒンドゥー教の聖地として有名ですが、そのバラナシの中心部から北へ10キロほど離れたところに、仏教の四大聖地のひとつとして有名な場所があります。
現在、サールナート(サルナート)と呼ばれる町です。
この地で、釈迦は初めて説法を行い、5人の弟子を得て、最初の仏教教団が誕生しました。
いわゆる、初転法輪(しょてんぽうりん)が行われ、「仏法僧」の三宝がそった場所なんですね。
そんな仏教の聖地を訪問するというのが、今回のバラナシ旅行の目的のひとつでもありました。
※Varanasiという地名の日本語表記には、バラナシ、ベナレス、ワーラーナシー、ワラナシ、ヴァーラーナシー、ヴァラナシなど様々な表記が見られますが、ここでは「バラナシ」に統一します。
※また、Sarnathという地名もサルナート、サールナートなどの表記がありますが、ここでは「サールナート」とします。
サールナートは、なぜ仏教の聖地なのか?
旅行記の前に、まずは、このサールナート(Sarnath)が仏教の聖地と呼ばれる所以について、簡単に説明します。
(うんちくなんてどうでもいいという方は、すっ飛ばして「サールナートへ出発」のところから読んでくださいね)
今から2608年前、お釈迦様(仏陀)はブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれますが、当初、その悟った真理(仏法)を人々に説くことをためらわれます。
というのも、お釈迦様が得られた仏法というものはあまりにも難解なので、説法したところで一般には受け入れられず、徒労に終わるだろうとお考えになったからです。
しかし、梵天様(ブラフマー神)からの再三にわたる懇願により、ようやく仏法の伝道を行うことを決意なさったお釈迦様は、まず、かつて苦行を共にした修行者5人がいるバラナシへと向かわれます。
そして、ルシパタナ(現サールナート)の鹿野苑(ろくやおん)という森で、かつての修行仲間である5人に初めての説法を行われました。
最初は、かつて苦行を放棄して出て行った釈迦に対する蔑みの気持ちを抱いていた5人の旧友も、釈迦の説法を聞くと深く感銘を受け、帰依して弟子になったのです。
この、釈迦が初めて仏教の教義である法輪(仏法)を人々に説いたことを、初転法輪(しょてんぽうりん)と呼びます。
お釈迦様の教えが転がり始めたということなんですね。
ここに、仏陀【仏】と、その教えである仏法【法】と、その教えを正しく学び実践する弟子【僧】の「仏法僧」という三宝がそろい、釈迦と5人の弟子(比丘/僧)による最初の仏教教団が誕生したのです。
現在、世界的には大乗仏教・上座部仏教といった大きなくくりでの宗派の違いがあったり、日本国内でも様々な宗派に枝分かれした多くの仏教教団があったりしますが、その大本(おおもと)というか、一番最初の最初の仏教教団はここで誕生したんですね。
それを考えれば、やっぱり仏教の大聖地と呼ばれるのはよくわかります。
(聞きかじりの知識です。もし勘違いや間違いがあったらご指摘ください)
三宝節(ワン・アーサーラハブーチャー:วันอาสาฬหบูชา)
タイでは、このお釈迦様がサールナートで初めて説法をなさった日(初転法輪)を、仏教の重要な日とみなし、祝日としています。
それが、ワン・アーサーラハブーチャー:วันอาสาฬหบูชา (アーサーハブーチャーとも)、「三宝節」です。
タイ太陰暦8月15日の満月の日(西暦では6月下旬から7月あたり)には、寺院では仏教行事が執り行われ、熱心な仏教徒が参拝に訪れます。
この日はアルコール類の販売は禁止となりますので、タイ国内のバーやレストランでは原則として飲酒ができません。(買い置きしていたものを自宅やホテルの部屋で飲むことはOK)
タイの仏教の祝日は、旧暦に基づいており、西暦では毎年日にちが違うため、お酒好きの旅行者にとっては要チェックの日ですね。
(『タイ 禁酒日』などでネット検索すれば、だいたい情報はでてきます)
そして、図らずも、この記事を公開する本日2020年2月8日も、仏教の祝日のひとつ「万仏節(ワン・マーカブーチャー:วันมาฆบูชา)」です。
万仏節というのは、1250人もの釈迦の弟子(比丘)が何の知らせもなく、お釈迦様のもとに一堂に集まった奇跡を祝う日です。
私も、お寺に行って蝋燭を手にして本堂の周りを3回周る予定です。
(『ウィアン・ティアン(เวียนเทียน)』という儀式)
サールナートへ出発
うんちく、脱線はこのくらいにして、ここからは、できるだけ時系列に沿ってサールナート見学の様子を報告しようと思います。
バラナシ2日目。
朝の散歩を済ませ、ホテルの朝食をいただいた後、サールナートへ向かうことにしました。
バラナシの中心部からサールナートまでは10キロ程度、オートリクシャーとかオートリキシャとかよばれる三輪タクシーで30~40分で着くので、よっぽどの考古学好きとか仏教研究者とかでなければ、バラナシからの日帰りでも充分見て回れると思います。
私たちが宿泊しているホテルは、ガンジス川沿いの細い路地が入り組んだ古い町並みの中にあるため、三輪タクシーが入ってこれません。
ですから、適当に歩いて大通りに出てから、流しの三輪タクシーを拾うことにしました。
日曜日だからかはわかりませんが、朝からたくさんの人たちが活動しています。
路上には朝市のようなものも出ていました。
ゴドウリア(ゴードゥリア)交差点付近では、
相変わらず「バイク借りないか~?」「どこ行く?なあ、どこ行く?」「サールナート行くんだろ~?」などと、しつこく声をかけてくる輩がいっぱいですが、とりあえず、積極的に勧誘してくるしつこいおじさんたちはスルーします。
ゴドウリア交差点から少し離れた場所まで行って、走ってくる三輪タクシー数台にあたってみました。
たいてい「往復か?」と聞いてくるのですが、
私たちは、サールナートでそこそこ時間を費やして見学する予定だったため、
「行きだけ」と答えると、500ルピーとか言ってきます。
さすがに500ルピーは調べていた相場(片道150~200ルピー程度)より明らかに高いぼったくり価格なのでパス。
次のリクシャーに聞いてみると、「400ルピー」からの「300ルピー」に。
まあ、それでも若干高い気もしましたが、交渉であまり時間を無駄にもしたくなかったので、『まあいっかな~』と答えようとしたその瞬間・・・
強引に割り込んできた1台のリクシャーがありました。
「サールナートまで150ルピー!」
え、いきなり安いな。
「早く乗って、2人で150ルピーでいいから!」
えー、なに、なに?
見ると、既に2人のインド人女性が乗っています。
ああ、相乗りか。
「150ルピー!早く乗りなよ、早く!」
えー、どうしよう。どうしよう・・・。
「早く、カモーン!」
えーーい、まあ、いっか!
よし!
安さと勢いに負けて乗っちゃいました。(笑)
相乗りの先客2人が一般のインド人女性だったというのも、何となくの『勘』で安心感を覚えたのもあると思います。
相乗り、のち、貸し切り
三輪タクシーの後部座席で、向かい合わせに座るインド人2人と日本人2人。
お互いに少し窮屈でなんとなくぎこちなく・・・。
このまま、かしこまってサールナートまで一緒に行くのかと思っていたら、
5分くらい行ったところで、大通りの路肩に停車しました。
どうやらここで女性2人を降ろすようです。
料金を回収しに来た運転手のお兄ちゃんに対して、インド人のおばさまは少し不服そうな顔。通り右奥の路地のほうを指さしています。
あー、わかりました!
ヒンディー語はまったく理解できませんが、彼らの表情や声のトーンや身振りから察しがつきました。
たぶん、こういうことです。
「ちょっとあんた、私、あの路地の先までって言ったじゃない」
「悪いけどここで降りて、後は歩いてよ」
「なんなのよ、まったく!」
「え、ちょっと奥さん、これ、お金、足りないんですけど」
「当たり前でしょ、あんた、最後まで行かなかったんだから、これだけよ!」
そうして、おばさま2人は悠々と通りを渡り去って行きます。
運転手は『そりゃないよ~』というふうな表情を一瞬見せながらも、意外とあっさりと運転席に戻りました。
もしかしたら、この運転手が私たちを乗っけたから、あのおばさまたちは手前で降ろされるはめになったのかも?
と思ったら、少し申し訳ない気もしましたが・・・。
ともかく、これで乗客は私たちは2人だけになったので、進行方向の席にゆったりと座り直します。
しばらくすると、運転手が話しかけてきました。
「そう言えば、サールナートは、行きだけでいいんでよね?」
「そうだよ」
「よかった。オレの家はサールナートなんだ。これから朝ごはんを食べに帰るんだ」
どうりで。
空車で帰るよりは、料金安くても私たちを乗っけて帰った方がいいわけですよね。
一応舗装道路ではありますが、ところどころ未舗装だったり、凸凹があったり、踏切があったりするので、この三輪タクシーというものは、お尻への負担がわりと大きい乗り物でした。(^^;
そんなこんなで、インドの初オートリクシャーを楽しみながら、30分ほどでサールナートに到着。
降ろされた場所は、なぜかちょうどタイ寺院の前でした。
サールナートの中編に続きます。
ではまた。