大河ドラマ『麒麟がくる』が、いよいよ19日に2週間遅れで放送開始予定とのことですね。
以前、当ドラマの主役、明智光秀ゆかりのお寺である『西教寺』を訪れた時の記事を書きました。
今回は、西教寺からほんの数キロの場所にひっそりと佇む『盛安寺』を紹介したいと思います。
琵琶湖の西岸、大津市の坂本エリアはこの地を治めていた明智光秀ゆかりの場所です。
かつて明智光秀が築いた幻の水城『坂本城』も琵琶湖湖畔にありました。
盛安寺(せいあんじ)
盛安寺は、正式名を「瑞應山法王院盛安寺」と言い、天台真盛宗総本山西教寺の末寺のひとつです。
湖国十一面観音菩薩霊場第二番、びわ湖百八霊場湖西第七番札所のお寺でもあります。
比叡山の麓、大津市坂本のなだらかな丘陵地の一角に所在しています。
室町時代の文明年間(1469~87)に越前の大名・朝倉貞景の家臣・杉若盛安(もりやす)が廃寺を再興し、その名を寺名にしたと言われています。
その後、織田信長による比叡山焼き討ちの際に兵火にかかりますが、坂本城主であった明智光秀が再興しました。
客殿(重要文化財)は伏見城の遺材を用いて建立され、石垣は穴太衆積みによるものです。
また、木造の十一面観音菩薩立像は国の重要文化財に指定されています。
穴太積みの石垣
盛安寺の最寄り駅は、京阪電車石坂線「穴太駅」で、このあたりは穴太(あのう)と呼ばれる地域なんですが、この穴太には、古くから石工のスペシャリスト集団「穴太衆(あのうしゅう)」が住んでいました。
穴太衆という人たちは、主に寺院や城郭の石垣施工を請け負った技術者集団で、戦国時代以降、安土城をはじめ竹田城、大坂城、名古屋城、江戸城、金沢城、彦根城など、全国の大名に召し抱えられ、多くの城の石垣を手掛けました。大掛かりな加工は施さず、自然の石を大小組み合わせて上手く積んでいく野面積(のづらづみ)が特徴です。
盛安寺は、さすがに穴太衆地元のお寺とあって、美しく立派な穴太積みの石垣が施されていました。
本堂と客殿と庭園
立派な石垣から階段を上がると正面に本堂があります。
(大河ドラマ「麒麟がくる」のノボリもありますね)
まずは本堂裏手の参拝受付へ向かいますが、どうやらここは無人受付で、自身で拝観料や御朱印(紙にあらかじめ押印されているもの)の料金を納め、受け取る仕組みのようです。いわゆる観光寺ではなさそうです。
ただ、その時たまたまご住職が通りかかられたので、参拝させていただきますとお声掛けしたら、「客殿と庭園は本堂の向かって左側の扉を開けて進んでください」と教えてくださいました。
後から思えば、それを聞いていてよかったです。でなければ、誰もいない本堂の扉を勝手に開けて進むなんてできず、絶対に客殿にはたどり着けませんでした。
本堂のご本尊は、阿弥陀如来坐像。
手前には「片袖の阿弥陀」と呼ばれる少し小さめの阿弥陀如来立像も安置されていました。
客殿の前庭は枯山水ですが、築山には大小の石が配置され、植物の緑も多めな印象。
本堂の向かって左手前には、明智光秀公の供養塔もありました。
十一面観音菩薩立像
本堂とは道を挟んで向かい側に、収蔵庫(観音堂)があります。
お堂自体はコンクリート造りの新しいものですが、実は、この中には千年以上も昔に造られた秘仏の十一面観音菩薩像が安置されているのです。
国の重要文化財に指定されているこの観音様は、十一面観音としては珍しい四臂(4本の腕)のお姿です。
天智天皇勅願の崇福寺伝来の仏像と伝えれらています。
かつて、白洲正子は、著書『十一面観音巡礼』の中で、こちら盛安寺の十一面観音立像を賞賛しています。
また、井上靖の小説『星と祭』にも登場します。
普段は秘仏として収蔵庫の扉は閉ざされているようですが、この日はたまたま開帳日で幸運にも拝観することができました。
◆盛安寺十一面観音立像の開帳日◆
一般開扉・公開
5月、6月、10月の毎土曜日
正月三が日
5月の連休
※団体は要予約
ふくよかなでやさしいお顔としなやかな肢体。
崇高さと親しみを感じるいい仏像でした。
手前には地蔵菩薩と聖観音立像も安置してありました。
明智公陣太鼓
本堂の横にある太鼓楼(太鼓櫓)には、明智光秀公より賜ったとされる陣太鼓があります。
天正年間のある夜、敵の急襲を寺の太鼓を打って知らせた恩賞として賜ったそうです。
通常、太鼓楼の2階に展示されているとのことでしたが、その日は、2階には何もなく、1階に大太鼓と梵鐘が並べて置いてあったので、おそらくこれが明智公の陣太鼓だと思います。(違ったらごめんなさい)
盛安寺情報
瑞應山 法王院 盛安寺
所在地:〒520-0113 滋賀県大津市坂本1-17-1
TEL:077-578-2002
拝観料:300円
拝観時間:9時~16時
アクセス:京阪電鉄・石山坂本線 「穴太駅」下車 徒歩5分
(自動車)湖西道路下阪本ICより10分 駐車場あり
坂本城址
盛安寺の前の緩やかな坂道を琵琶湖に向かって真っすぐ下っていくと、旧国道161号線(現、県道556号高島大津線)に出ます。
その一帯が、かつて明智光秀が築城した幻の水城『坂本城』のあった場所となります。
今は何の変哲もない湖畔の広場ですが、かつてここには琵琶湖に面した壮大な天守を持つ平城が築かれ、宣教師ルイス・フロイスはその著書『日本史』のなかで、安土城につぐ天下第二の名城であると賞賛しているそうです。
坂本城址公園となっている敷地の中には、明智光秀の石像と坂本城についてのパネルがありました。
琵琶湖の水面下には、石垣などの遺構の一部が認められるそうです。
かつては栄華と波乱に満ちた城跡も、今はさざ波が静かに打ち寄せるだけ。
穏やかな冬の昼下がりに母と二人、戦国の世にしばし心を馳せました。
天気にも恵まれて、今回の滋賀県坂本地区の散策は、思いのほか楽しいものとなりました。
タイ在住ゆえに、どれだけNHK大河ドラマ「麒麟がくる」をフォローできるかわかりませんが、何気に楽しみにしております。
ではまた。