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バンコク生活の中で気づいたことや感じたことを書き連ねます。タイの生活情報やタイ語のあれこれ、タイ国内旅行、近隣諸国訪問なども織り交ぜながら。

ドヴァーラヴァティー仏と宝冠仏と金銀の仏像と木に埋もれた仏頭「ワット・ナープラメーン」(アユタヤー)

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アユタヤ旧市街(アユタヤ島)の城壁外、北側にある「ワット・ナープラメン」寺院には、ドヴァラヴァティ様式の珍しい石像や、宝冠をいただいた眩い本尊、白銀の仏像、黄金の遊行仏、そして境内の菩提樹にひっそりと埋もれた仏頭などがあります。

今回は、奇跡的にビルマ軍の破壊を免れた13世紀創建の古刹を紹介します。

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ワット・ナープラメーン

ワット・ナープラメーン寺院は、アユタヤ中期のラーマーティボディー2世の時代に建立されたと考えられていますが、正確なことはわかっていません。

正式名はワット・ナープラメーン・ラーチカラームวัดหน้าพระเมรุราชิการาม)といい、もともとこの辺りに、高い地位の人物(王族など)の火葬場、あるいは処刑場があったことからこのような名前が付けられたと推測されています。

ナー(หน้า)=〜の前
プラメーン(พระเมรุ)=火葬儀式を行う建物


場所は、アユタヤ旧市街(アユタヤ島)の城壁外北側、運河を挟んで王宮跡の向かい側にあたります。



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この寺院は、第二次アユタヤ陥落(泰緬戦争)の時に、ビルマ軍が陣を敷いた場所だったため、アユタヤで唯一ビルマ軍による破壊を免れたと言われています。
それでアユタヤ時代の建築物や仏像などが良い状態で残っており、歴史的価値のある寺院とされています。


ただ、ビルマ軍が破壊行為を行ったのはアユタヤの中枢部、城壁内の寺院や王宮だけで、城壁外の他の寺院が廃れたのは、ビルマ軍に破壊されたからではなく、単純に経年により衰退・消滅していった、あるいは火事場泥棒的な(ビルマ軍ではない)輩が金目の物を盗んでいったためだけと考える学識者もいるようです。



本堂とヴィシュヌ神の切妻

本堂は柱が建物の中にあるアユタヤ様式の建築で、ひさしの下の柱は後世に付け加えられたものだと考えられています。

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本堂の切妻部分(破風)には、中央にガルーダに乗ったナーラーイ神(ヴィシュヌ神)とその下にラーフー神の彫刻が施されており、周りを26人の天人が取り囲んでいます。

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古来、タイでは王はヴィシュヌ神の化身だと考えられてきたので、宮殿や王室関係の寺院にはヴィシュヌ神(ナーラーイ神)の彫刻が飾られていることが多いそうです。



こちらは、本堂の後ろ側の切妻部分です。
正面と同じく、ラフーの上にガルーダ、そしてヴィシュヌ神が彫られていますが、周りの天人の数は少し少なくて22人となっています。


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切妻部分は、意識しないとなかなか目を向ける場所ではないかもしれませんが、当寺院を参拝される際は、ぜひこの切妻部分もご注目ください。




黄金の宝冠仏

本堂に祀られた宝冠仏は降魔印を結んでおり、煌びやかな王族の衣装を身に纏っています。

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こういった宝冠仏は、アユタヤ時代中期からラタナコーシン朝初期にかけて好んで造られた様式ですが、大きく弧を描いた眉や大きな目蓋、鉤鼻といったそのお顔の特徴が、ワット・チャイラタナラーム寺院の回廊に安置された仏像と一致することから、アユタヤ後期のプラサートトーン王の時代に造られたか、その頃に大掛かりな修復が行われた仏像だと考えられています。


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非常に荘厳で華麗なお姿ですね。
青銅製の仏像の表面に金が施され、高さは約6メートルあります。

宝冠仏としてはアユタヤで一番大きいそうです。

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ちなみに、ラーマ3世によって命名されたこの宝冠仏の正式名は「プラプッタニミットウィチットマーンモーリーシーサンペットボーロマトライローカナート」(พระพุทธนิมิตวิชิตมารโมลีศรีสรรเพชญบรมไตรโลกนาถ)という非常に長いお名前です。





ワット・チャイラタナラームの仏像と比較

下の写真は、ワット・チャイラタナラーム寺院の回廊に安置された仏像です。

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この記事を紹介するにあたり、ワット・ナープラメーン寺院本堂の仏像とワット・チャイラタナラーム寺院寺院の仏像の類似点について気になったので、実際にワット・チャイラタナラーム寺院へ行って確かめてました。

ただ、この時、回廊にある8つの塔(メールティット/メールラーイ)の半分くらいが修復中だったため、拝観できる塔の中で頭部が残っている仏像は2体しかありませんでした。

そのお顔もだいぶ崩れているので、はっきりとはわかりませんでしたが、確かに、大きく弧を描いた眉やまぶたなどは、ワット・ナープラメーンの仏像のお顔の特徴と一致している気がします。


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ドヴァーラヴァティー様式の大石仏

 

本堂の東側に小さな礼拝堂「ウィハーン・ノーイ วิหารน้อย」(または「ウィハーン・キアン วิหารเขียน」)があり、本堂の形をそのまま小さくしたようなスタイルですが、こちらはラーマ3世の時代に建立されたそうです。

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堂内に安置された仏像は、ドヴァーラヴァティー様式の古い仏像で、1000年以上昔、スコータイ時代よりも前のものだと考えられているそうです。
(寺院の説明では1,500年前のものだとか)


プラ・カンターンラート(พระคันธารราฐ)」と呼ばれるこの仏像は、緑石(シラーキアオ)から造られた石像で、アユタヤのワット・マハータート寺院(大木の中の仏頭で有名な遺跡寺院)から移されたようですが、もともとはナコンパトム県にあった仏像だと伝えられています。

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この仏像は、本当に不思議な威厳を感じます。
堂内には、何か圧倒されるオーラのようなものが漂っています。

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堂内の壁画はほとんどが損失していますが、所々に残っている部分があり、建立当時の様子を想像してみたり。

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木に埋もれたもうひとつの仏頭

先ほど上でも少し名前が上がりましたが、ワット・マハータート寺院遺跡内にある大木に埋もれた仏さまのお顔は、世界遺産アユタヤーを代表するイメージとして、あまりにも有名です。
アユタヤを訪れたことがない人でも、この仏頭の写真や映像は、どこかで目にしたことがある人も多いと思います。

ビルマ軍によって破壊され、放置された仏像の頭部が、長い歳月のうちにいつの間にか木の根に取り込まれたと言われています。
この仏像の前で記念撮影をするのが定番となっていますよね。
(仏像に敬意を払い、座って写真を撮らなければなりません)

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さて。
ほどんど知られていないかとは思いますが、実はこのワット・ナープラメーン寺院にも巨木に取り込まれた仏頭があるということを知り、探してきました。



本堂西側の奥に、3つの仏塔が並んでいます。

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その中に巨木(菩提樹)にほぼ覆い囲まれてしまっている仏塔があり、根の一角をよーく見ると・・・

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!!!



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仏像のお顔がっ!


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でも少し拍子抜けしてしまったのは(罰当たり)、なぜなんでしょうか。

やけに白いお顔だからなのか、思ったより小さいお顔だったからなのか、心なしか笑っているようなお顔だったからなのか、ひょっこり覗いているようなお顔だったからなのか・・・。


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大人が見上げるような位置にある仏頭。
どうしてあんな風になってしまったのでしょうかね。

不思議です。






銀の座像と金の遊行仏

本堂の裏手に屋根の付いたお堂があります。
お堂には「ルアンポー・カーオ(หลวงพ่อขาว)」と書かれており、中には白銀の仏像が安置されていました。

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熱心にお参りされている方がたくさんいらっしゃいました。

 


ルアンポー・カーオのお堂と隣り合わせにもうひとつのお堂があり、こちらには、黄金の(金箔を張られた)遊行仏がお祀りされていました。

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この歩く姿の遊行仏はスコータイ時代にタイで広がったタイ独特の仏像スタイルだと言われていますが、この仏像はそれよりも前のものということでしょうか、「800年以上前、ロッブリー時代の仏像」と書かれていました。


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寺院情報

<寺院情報>
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ワット・ナープラメーン・ラーチカーラーム
วัดหน้าพระเมรุราชิการาม
Wat Na Phramen
所在地:76 หมู่4 ตำบล ลุมพลี อำเภอ พระนครศรีอยุธยา จังหวัดพระนครศรีอยุธยา 13000
    76 หมู่4 Tambon Lum Phli, Phra Nakhon Si Ayutthaya District, Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000 タイ
TEL:080-668-1070
時間:08:00-17:00
駐車場:境内にあり(無料)
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以上、アユタヤ時代の仏像や建築はもとより、もっと古い時代の仏像も残る「ワット・ナープラメーン」寺院の紹介でした。



ではまた。