タイの古都アユタヤの涅槃仏と言えば、野ざらしの遺跡広場に横たわる涅槃像(ワット・ローカヤスターラーム)を思い浮かべる方が多いかも知れませんが、アユタヤには意外とたくさんの涅槃仏が他にも存在します。
今回は、そんな中から、古刹ワット・サームウィハーンのお堂に安置された巨大涅槃仏を紹介したいと思います。
三つの礼拝堂を持つお寺
ワット・サームウィハーンは、アユタヤの旧市街であるアユタヤ島の外側、北西に位置します。
ロッブリー川がパーサック川と合流するあたりにあります。
このお寺はアユタヤ時代初期に建立された歴史ある寺院です。
アユタヤ王朝3代目のパグワ王(ボーロマラーチャーティラート1世)の時代に創建されたと考えられています。
もともと「ワット・サームピハーン(วัดสามพิหาร)」という名前でしたが、後に「ワット・サームウィハーン(วัดสามวิหาร)」に改名されました。
「サームウィハーン」というのは「3つの礼拝堂」という意味で、これは当時、立像を安置したお堂と、座像を安置したお堂と、涅槃像を安置したお堂が建てられたからでした。
(現在、立像は存在しません)
歴史に登場するお寺
このワット・サームウィハーン周辺は、王都(アユタヤ島)の外ではありましたが、城壁に近い場所に位置していたため、他国(ビルマ軍やクメール軍)との戦場としてしばしば歴史に登場します。
以下、ワット・サームウィハーンのfacebookからの内容を参考に、簡単に紹介しておきます。
アユタヤに関する王統記(年代記)によると・・・
◆アユタヤ中期、18代チャクラパット王(白象王)の時代。
ビルマのバインナウン王はワット・サームウィハーンまで攻め入ってきて、アユタヤ攻撃の指揮を執りますが、タイ軍の大砲攻撃を受けて、兵を引き返すことになりました。
また、チャクラパット王の妃であるスリヨータイ王妃が象の上で亡くなったのもこの辺りだとか。
※スリヨータイは、タイでは勇敢にビルマ軍と戦ったヒロインとして扱われており、約20年前に公開された映画「スリヨータイ」(2001年)は、本格的な歴史映画として、当時タイ国内で大ヒットしました。
◆アユタヤ王朝20代マハータンマラーチャーティラート王(サンペット1世)の時代。
クメール軍との戦いでも、この寺院周辺が戦場となったことが年代記に記されているそうです。
タクシン王とラーマ1世が幼少期を過ごしたお寺!
◆アユタヤ王朝末期ボロマコート王の時代。
シンという名前の、ある華人の少年が、このワット・サームウィハーンで出家し少年僧として修行していました。
このシン少年こそ、後のトンブリー王朝を興すタークシン王(『タクシン王』とも)なのです。
そして、このお寺で後のラーマ1世(現チャクリー王朝の初代王)、同じく後に名門ブンナーク家の祖となる少年2人と出会い、共に修行・勉学に励んだそうです。
って、すごいお寺じゃないですか!!
ちょっと強引ですけど、
織田信長と豊臣秀吉と徳川家康が一緒に学んだお寺みたいなもんですよ!
(いろいろ違う…)
でも、あれですね。
幼年期を共に過ごした幼馴染の一人が後に一国の王となり、将軍としてその友を支え続けたもう一人は、最終的にその幼馴染を処刑した上で自ら王位に就くことになったわけですよね。
国を問わず、戦乱の世には、似たようなことは多々起こったのでしょうが、運命ってつくづく皮肉なものですね。
そんな少年たちが成長して大人になった頃。
◆アユタヤ王朝最後の王、スリヤートアマリン王(エーカタット王)の時代。
王都アユタヤーは、ビルマ軍の包囲により再び大きな危機を迎えます。
この時、ワット・サームウィハーン周辺にもビルマ軍が押し寄せ、陣を敷きました。
難攻不落と言われていたアユタヤですが、ビルマ軍はトンネルを掘って城壁を崩し、城内に侵攻します。
そしてついにアユタヤは陥落してしまうのです。
※以上、主にワット・サームウィハーン寺院のfacebookからの情報であり、必ずしも史実と一致しているとは言えない可能性もあることをご了承ください。
スコータイ様式の涅槃仏
歴史に関するうんちくはこれくらいにしておいて、お寺の様子を紹介していきましょう。
まずは、大きな涅槃仏が横たわる礼拝堂(ウィハーン)からです。
お寺の奥にある建物です。
入口を入ると、涅槃仏の足元の方から見えてきます。
少し薄暗いお堂を進んでいくと、仏様のお顔が拝見できます。
約21メートル。
涅槃仏というと、ワットポーなんかの金箔を施したキラキラな仏像を想像しがちですが、こちらの涅槃像は少し印象が違いますね。
この涅槃仏はスコータイ様式なんだそうです。
なんでも、肘を顔の前の方に突き出すようにしているのがスコータイスタイルで、それ以降の涅槃仏は、体に沿うような位置(頭のほぼ真下)で肘をついて頭を支えるスタイルらしいです。
そういえば、ワットポーの涅槃仏は肘がそれほど前には出ていませんね。
ワット・サームウィハーンの涅槃像もお堂も、アユタヤ時代から何度か修復を経て現在に至るようです。
本堂
現在の本堂は近年建てられたものです。
ただ、本堂周りに置かれた結界石はアユタヤ時代初期のものだと考えられています。
本堂内の様子です。
白い座像
本堂と涅槃像の礼拝堂の間に降魔印を結んだ白く大きな座像が安置されています。
古い時代の仏像を修復しているようです。
お堂自体も新しく造られたもので、壁はなく屋根だけ取り付けられています。
大仏塔(主仏塔)
座像が安置された礼拝堂の裏手にある大きな丸型(釣鐘型)の仏塔は、アユタヤ初期から中期にかけて造られたものだと推測されています。
何度か修復を重ねて現在に至りますが、崩落を免れた箇所に古い時代の痕跡を見ることができます。
寺院情報
<寺院情報>
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ワット・サームウィハーン
วัดสามวิหาร
Wat Sam Wihan
所在地:11 ถ. อู่ทอง ตำบล สวนพริก อำเภอ พระนครศรีอยุธยา จังหวัดพระนครศรีอยุธยา 13000
11 U Thong Rd, Tambon Suan Plik, Phra Nakhon Si Ayutthaya District, Phra Nakhon Si Ayutthaya 13000
TEL:081-991-6004
駐車場:境内にあり(無料)
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以上、ちょっと雰囲気の違う涅槃像と、歴史の舞台となったアユタヤ時代創建の古刹「ワット・サームウィハーン」の紹介でした。
ではまた。
<参考サイト>
https://www.facebook.com/HistoryKrungsriAyutthaya/posts/1690289054378358/
https://www.khaosod.co.th/lifestyle/news_1926292