今日の午後、職場付近はものすごい雷雨に見舞われましたが、退社時間にはすっかり止んでくれてよかったです。まなおです。
前回は、スパンブリーショートトリップの第一弾として『ドラえもん寺」のことを書きました。
今回は、スパンブリーの中心部にある観光スポット、口から水を吐き出す巨大な龍がインパクト大の『サーンチャオポー・ラックムアン・スパンブリー』周辺の中国風建造物群について書きたいと思います。
巨大龍の建造物(中国博物館/天龍公園)
スパンブリーの幹線道路のひとつ、マーライメン通り(ถนนมาลัยแมน / Malaiman Rd.)を運転していると、インパクトが半端ない巨大龍の建物が目に飛び込んできました。
これが有名な水を吐くドラゴンだなと、早速向かってみることに。
中国テーマパーク?
巨大なドラゴンの像を目印に車を進めます。
駐車場に車を停めて、看板に従って歩いて行くと、中国門と中国風の橋がお出迎えです。
門をくぐって橋の階段を渡ったら、その先には、映画の撮影セットのような中国の街が。
両脇に中国建築風のショップや食堂、中央にお土産屋台が配された通りを歩きます。
コンビニやコーヒーチェーン店の「Cafe Amazan」も中国風です。
通りの先には中国の楼閣や塔もいくつか建っていて、まるで中国のテーマパークのような趣きです。
あるいは、万博か何かの中国パビリオンの一角を歩いているような感じというか…。
ドラゴンミュージアム
タイトルでドラゴン寺と書きましたが、厳密にいうと、寺院ではありません。
口から水を吐く巨大龍の建物は、古代中国から現代に至る、中国王朝の変遷や社会について紹介した歴史博物館になっています。
「พิพิธภัณฑ์ลูกหลานพันธุ์มังกร / Dragon Descendants Museum」(龍の末裔ミュージアム)という名前がつけられています。
ここの入場料は強気で、外国人だと500バーツくらいとられるようですが、わざわざそんな高い料金を払ってタイで中国の歴史をお勉強というのもなんなので、館内見学はパスしました。
なんでしょうか、もしかして、館内には「スプラッシュ・ドラゴン」とか「ドラゴン・サンダーマウンテン」とか「ドラゴンテッド・マンション」みたいなアトラクションでもあるんでしょうか。
それくらいの勢いの値段です。
この日は、祝日プロモーションとかで「149バーツ」と入口に掲げられていましたが、仮にこれがタイ人・外国人共通の入場料だとしても、なぜか私は入ろうという気が起こりませんでした。(ケチなだけ?)
展示内容をよく知りもしないのに言うのはよくないと思いますが、タイの家族連れが気軽に入れる料金設定ではない気が・・・。
(実際、私がドラゴンミュージアム付近を散策している間に入場した人は皆無でした)
そうです、ここは、多くのタイ人がそうしているように、そして私もそうしたように、外から巨大な天龍を写真におさめたり、『ドラゴンと私』風の記念撮影をすれば十分な場所なんです!きっと。(笑)
(中国5千年の歴史に興味ある方は、ぜひ鑑賞していただければと思います)
入口のロビーまで少し入らせていただきましたが、古代の神話伝説の時代からのざっくりとした時代区分パネルが壁に張られていました。
ラックムアン(町の中心の柱)
巨大龍の博物館建物の一角を「อุทยานมังกรสวรรค์(天龍公園)」とも呼んでいるんですが、そもそもこの場所は、スパンブリーのラックムアンが置かれた場所なんです。
ラックムアンというのは、町や都市を造営するときにその中心となる場所、町の守護神(チャオポー・ラックムアン)を祀る柱を定めたところです。
ですから、この場所は「ศาลเจ้าพ่อหลักเมืองสุพรรณบุรี(サーンチャオポー・ラックムアン・スパンブリー)」と呼ばれる『チャオポー・ラックムアン廟』がその中心の建物ということになります。
なぜ中国廟?
ラックムアンは、土着の精霊信仰やヒンドゥー教(バラモン教)の影響を受けていることが多いと言われます。
実際に、ここのラックムアンに安置されている2体の石像(チャオポー)は、ナライ神(ヴィシュヌ神の化身)です。
それなのに、スパンブリーのラックムアンはなぜ中国廟のお社になっているのか気になって、後で調べてみました。
バンハーン・シラパアーチャー
スパンブリー県の著名人として必ず挙がる名前と言えば、故バンハーン・シラパアーチャー(บรรหาร ศิลปอาชา)元首相。
巨額の資産をもって政界に君臨し、公共事業の誘致などで地元のスパンブリー県の発展に寄与した人物です。
中国名を「馬德祥」といい、潮州系中国移民の2世としてスパンブリー県で生まれ育ちました。
地元で数々の事業を経営して多大な財産を築き、政界入りを果たした後は、主要ポストを歴任して国民党党首となり、タイの首相(1995年~1996年)を務めました。
どうやら、このバンハーンこそが、スパンブリーのラックムアンを、現在の煌びやかな中国廟風の社にした中心人物らしいのです。
ちなみに、“อาชา”(アーチャー)というのは、『馬』という意味です。
中国名とリンクしていますね。
一般的なタイ語の『馬』は、“มัา”(マー)ですが、アーチャーはどちらかというと文語的・古語的な呼び方です。
チャオポー・ラックムアン・スパンブリーの変遷
ラーマ5世の時代、1890年頃までのスパンブリーのチャオポー・ラックムアン廟は、古く粗末な木造の社であったのを、当時の地元民であったタイ人と中国人が協力して改築し、タイ様式のお堂と中国風の門と壁を作ったそうです。
その後、何度かの修復や改築を繰り返し、1964年にバンハーン・シラパアーチャーや県知事らの主導で行われた改修工事では、タイ様式のお堂の形は残しつつも、チャオポーが安置されている壁の一部を除いて、ほとんどの部分が新しく中国様式に作り直されました。
また、1987年には、バンハーンが委員長を務めるチャオポー・ラックムアン委員会は、老朽化して手狭になった廟の改装と拡張工事を、中国人の価値観に沿って進めました。その時、バンハーン自身も発起人として100万バーツの寄付を行っています。
さらに、バンハーンはチャオポー・ラックムアン周辺の土地を2ライ(3,200平方メートル)寄付して公園を造営したり、入り口に龍の柱を建造したりしています。
このように、少しずつ中国風味が増してきた感のあるスパンブリー県のサーンチャオポー・ラックムアンですが、特にバンハーン・シラパアーチャー時代に加速したような気もします。
中国移民の息子としてタイの地で苦労と努力を重ね、事業を拡大して財を成し、政界に入り、一時期は一国の首相の座にまで上り詰めたバンハーン・シラパアーチャー。
スパンブリーのサーンチャオポー・ラックムアンには、周りのタイ人を凌駕したバンハーン氏の華人としての誇りと優越感が入り混じっているような気がするのは、私の考えすぎでしょうか。
以上、最後はうんちくが長くなりましたが、あまり深く考えず、巨大な龍の前で太極拳風のポーズで写真を撮るのがお勧めです。(笑)
ではまた。
※中国様式のサーンチャオ・ラックムアンは、スパンブリー以外にもいくつかあります。
参考サイト:
พิพิธภัณฑ์ลูกหลานพันธุ์มังกร - วิกิพีเดีย
xn--12cm1foaqwt7ag5d0f.blogspot.com