ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ~♪
この歌詞、日本人のほとんどの方がご存知だと思います。
そう、「手のひらを太陽に」という歌ですね。(作詞:やなせたかし/作曲:いずみたく)
私は、この歌のタイトルは「僕らはみんな生きている」だと思っていましたが。(汗)
ま、それはともかく。
今でもほとんどソラで歌えるぐらい(少なくとも1番は)、幼い頃によく歌った歌なんですが、当時この歌の中でわからない言葉がふたつありました。
ひとつめは、「血潮(ちしお)」です。
幼稚園生だった私は、「父を~」と歌ってました。
手の平で真っ赤に流れるお父さん・・・。シュール。
今ふと思ったんですが、これって、多くのタイ人が「し」と「ち」の違いがわからないのと同じですね。
で、あれは「ちちを」ではなく「ちしお」だと知った後も、ちしおが何のことだかよくわかっていませんでした。
そして、わからなかった言葉のふたつめが「オケラ」です。
ミミズやアメンボは知っていました。(たぶん)
でも、オケラって何ですか?
この歌以外で聞いたことも見たこともありませんでした。
そんなにメジャーな生き物なんですか?って、子供ながらに思っていました。
いや、都会育ちアピールとかじゃないんですよ。
近くには田畑も山もある住宅街で育っていますし、家の庭では蝶々が舞っていたり、セミが鳴いていたり、時にはカナブンやクワガタが迷い込んできたりする環境でしたが、オケラってものを見たことがありませんでした。
なんですか?オケラって。
私の中ではツチノコ的な存在だったと言っても過言ではないかも。(いや、きっと過言)
そんな私が、タイで初めてオケラというものを目にしてしまったんです。
昨日、バスタオルの漂白をしようとベランダに置いてあったバケツを覗くと、何やら不思議な物体がバケツの底に。
ひいいいいいい!
なんだか今までみたことのない造形の虫が。
コオロギとザリガニとモグラを足したような虫。
幸か不幸か、どうやら既に干からびて死んでいるようです。
え、どこからやってきたの?君。
ていうか、誰?
虫嫌いの方は、下の画像をスクロールしてとばしてくださいね。
調べてみてわかったんです。
これがあのオケラだと!
ぼくらはみんな生きている~♪
って、歌っていたあのオケラなんだと!
(生きてはいなかったけれども!)
オケラというものをウィキペディアで調べてみると、
- ケラ(螻蛄)は、バッタ目(直翅目)・キリギリス亜目・コオロギ上科・ケラ科(Gryllotalpidae)に分類される昆虫の総称。
- 行動可能範囲をまとめると、地中を掘り進み、水上を泳ぎ、空を飛び、地上を歩くと、様々な環境に対応しており、昆虫界のみならず、生物全体から見ても、対応範囲が非常に広い生物である。
ということらしいです。
ちなみに、オケラ(ケラ:螻蛄)のことをタイ語で「แมลงกระชอน(マレーン・クラチョーン)」というようです。
マレーンが「虫」、クラチョーンというのは「ザル」(水を切るザル、麺の湯切り網、濾し網)というような意味なんですが、なんで「ザルの虫」という名前になったんでしょうね。
それにしても、腑に落ちないのは、どうしてこんなバケツの中で息絶えていたんでしょうか。
何らかのアクシデントでたまたまバケツの中に落下した?
でも、バケツの上にはオケラさんが住むような環境なんてなかったはずだしなあ。
空も飛ぶらしいから、どっかから飛んできたの?
でも、それならバケツから這い出られなくなったとしてもまた飛んで出て行けばよかったのに・・・。
などなど、不思議でなりません。
一瞬、もしかして、先日Iraqi種のイチジクが突然萎れた原因は・・・
とも疑ってしまいましたが、自分の世話の悪さを棚に上げて、一方的に犯人にするのはかわいそうですね。
先日のいちじく日記のコメントで、「あれは根腐れではなく、むしろ渇水ではないか」という、ありがたいご意見もいただきましたので、近々もう少し踏み込んで原因を調べてみたいと思います。
(究明できるかどうかはわかりませんが、私ができる範囲で)
みんな、みんな生きているんだ、友達なんだ~♪
以上、バンコクで生まれて初めてオケラを目にした話でした。
ではまた。