バラナシのホテルを出発し、大通りから乗り込んだ相乗りオートリクシャー(三輪バイク)。
途中でインド人女性2人が降り、そのままサールナートにある自宅へ朝食を食べに帰るという運転手のお兄ちゃんが私たちを降ろしたのは、ちょうどタイの仏教寺院の真ん前でした。
仏教の聖地(四大仏跡)のひとつ、釈尊(釈迦・仏陀)が初めて説法を行った「初転法輪」の地、サールナートの拝観・史跡巡りは、タイ寺院からスタートです。
※Varanasiという地名の日本語表記には、バラナシ、ベナレス、ワーラーナシー、ワラナシ、ヴァーラーナシー、ヴァラナシなど様々な表記が見られますが、ここでは「バラナシ」に統一します。
※また、Sarnathという地名もサルナート、サールナートなどの表記がありますが、ここでは「サールナート」とします。
タイ寺院からスタート
図らずも、タイ寺院からスタートとなった私たちのサールナート巡り。
通りの向こう側にそびえる大仏に引き寄せられるかのように進んでいきました。
敷地内は庭園のようにきれいに整備されており、巨大立像の前の参道には花壇や噴水が立ち並んでいました。
2011年に12年の歳月をかけて完成した巨大仏は、砂岩のブロックを組み合わせたような独特のお姿で、タイっぽいかと聞かれるとそうでもない気がしますが、このあたりでは最大級(約25メートル)の仏像で迫力があります。
大仏の前で参拝を行い、そのまま敷地内にあるタイ寺院の本堂のほうへ歩いていきます。
これがタイ寺院本堂です。
ちょっと違う気もしますが、屋根の形なんかは、タイの寺院っぽい特徴があります。(タイとインドの融合?)
さっそく中に入ってお参りします。
あれ・・・?
中に安置されているご本尊のお顔に少し違和感を覚えました。
タイの一般的な仏像のお顔とは、ずいぶん違うような気がします。(私が知る限りではありますが)
特に目のあたりがインドっぽい感じというか、黒目がちというか・・・。
本堂手前にある菩提樹の下の仏像も、本尊とはまた違った独特なお顔をされていました。
<寺院情報>
サールナート・タイ寺院
Wat Thai Sarnath
วัดไทยสารนาถ เมืองพาราณสี อินเดีย
時間:07:00 - 17:00
拝観無料
サールナート考古学博物館
タイ寺院の参拝を終え、そのまま少し北に歩くと、考古学博物館が右手にありました。
このサールナート考古学博物館には、付近で発掘された「サールナート仏」と呼ばれる仏像や出土品の数々が展示されており、小規模ながら、インド仏教美術の一級品を鑑賞することができます。
サールナート仏の最高傑作ともいわれる「初転法輪像」や、インドの紙幣や国旗の中心に描かれている4頭のライオン像「アショーカの獅子柱頭」( Lion Capital of Ashoka)は、ここに展示されています。
考古学博物館の入場料は5ルピー(約8円)と、非常に良心的な料金です。
私たちは、この後訪れるサールナート仏教遺跡公園(ダメークストゥーパ)の入場料300ルピーと共に305ルピーでチケットを買いました。
遺跡公園のチケットはそれなりに高いんですね・・・。
内部の撮影は厳重に禁止されており、入場時にはボディーチェックがあります。
荷物やスマホなどは入り口のクロークで預ける必要があります。
係員が荷物をロッカーに入れてくれるので鍵を受け取り、出るときにその鍵を渡して荷物を取り出してもらいます。
また、博物館建物の右隣には、比較的きれいなトイレもあります。
私たちも、この後のサールナート巡りに備えて利用させてもらいました。
<博物館情報>
サールナート考古学博物館
Archaeological Museum Sarnath
入館料:5Rs.(15歳以下の児童は無料)
開館時間:09:00 - 17:00
休館日:金曜日
住所:Archaeological Museum Sarnath Varanasi, Uttar Pradesh 221007
TEL: 0542-2595095,2595001
Email: museumsrnthasi@gmail.com
sarnathmuseum.asi@gmail.com
URL:http://www.sarnathmuseumasi.org/index.html
サールナート仏教遺跡公園(ダメークストゥーパ)
博物館を出て少し歩くと、サールナート遺跡公園の入り口があります。
チケットにスタンプを押してもらい、中に入ります。
ここでは特に荷物を預ける必要はありません。
遺跡内はきれいに整備されていました。
アショーカ王の石柱
まずは、アショーカ王の石柱を見に行きました。
アショーカ王といえば、紀元前3世紀頃マウリヤ朝で仏教を手厚く保護し布教に努めた王様として知られています。
そのアショーカ王が仏教に帰依し、法勅を刻んで釈尊(釈迦)ゆかりの地に建てた柱がインド各地にあるそうです。
その中で最も有名なのが、このサールナートの石柱とその上の4頭獅子の柱頭です。
先にも触れましたが、このアショーカ王の獅子柱頭はインド国旗や政府機関の印章デザインとしても利用され、実物は考古学博物館に保管されています。
遺跡の中には柱本体の一部が残っていました。
ムーラガンダ・クティ寺院跡(Mulagandha Kuti)
お釈迦様と5人の弟子たちによる仏教教団が誕生し、雨期の雨安居を瞑想して過ごされた場所だとか。
遺跡のお供え物を狙うリスたち。
パンチャタン寺院跡(Panchytan Temple)
遺跡敷地内の一角に屋根付きの遺跡がありました。
ここは戒律違反をした僧侶(いわゆる破戒僧)を裁く場所であったようです。
ダメーク・ストゥーパ(Dhamekh Stupa)
サールナートと言えば、この巨大なストゥーパ(仏塔)の写真が出てくるくらい象徴的な建築物です。
アショーカ王が初転法輪の地を記念して建てたと言われています。
もともとはもう少し簡素なストゥーパで、現在のような形になったのは、6世紀のグプタ朝時代だと推測されています。
インド国内外から訪れた観光客が壁に残るレリーフを鑑賞したり、在家信者や僧侶がストゥーパの周りを経文を唱えながら歩いていたりしました。
仏塔の前で五体投地をしているチベット系仏教徒も多く見かけました。
ダルマラージカ・ストゥーパ跡(Dharmarajika Stupa)
ダメーク・ストゥーパの西側にある円形の遺跡が、ダルマラージカ・ストゥーパ跡で、この場所こそが、お釈迦様が最初の説法を行われた場所だと言われているそうです。
その場所に、後世ストゥーパが建てられたとのことですが、インドにおける仏教の衰退と共にこれらの仏教施設も荒廃していき、18世紀にはバラナシの藩主により建材利用のために取り壊されてしまいました。
そして、今はその基盤部分が残るのみとなっているのです。
お釈迦様が初めて説法を行い、最初の仏教教団が誕生した場所にいるということに、その時は正直言ってあまりピンと来なかったのですが、今こうして思い返すとなんだか感慨深い気持ちが押し寄せてきます。
かつて中国は唐の時代に、玄奘三蔵もこの地を訪れました。
そうです、夏目雅子さんがマチャアキさんや西田敏行さん、岸部シローさん、おヒョイさんらと共に目指した場所だったんですね。(年バレるw)
ブッダ・ダルマ・サンガ(Buddha Dharma Sangha)
ダメーク・ストゥーパを拝観した後、私たちは遺跡公園から外に出て、ムーラガンダ・クティ寺院(ムールガンダ・クティーとも。『初転法輪寺院』)の方へ歩いていきました。
その途中で見かけた寺院のような建物。
仏教教団施設でしょうか。
よくわからないまま入っていきました。
この方が組織の創始者のようです。
橋を渡った先のお堂には2体の仏像が安置されていました。
ランチは大盛過ぎてギブアップ
ムーラガンダ・クティ寺院は昼休み時間は閉まるという情報があったので、時間つぶしも兼ねてこのあたりでランチを摂ることにしました。
ブッダ・ダルマ・サンガの建物のすぐ隣にあるレストランが清潔そうだったので入ってみました。
ランチだからサクッと食べられるものを一人一品と、飲み物を注文することに。
私は、今までの経験上、どこで食べてもそれほど当たりはずれのないチョウメン(焼きそばのようなもの)を、友人はパニールビリヤニ(チーズ混ぜご飯)を、それぞれ注文しました。
飲み物は2人ともラッシーにしました。
この時、私はあることをすっかり忘れていたんです。
インドでは、これらの一皿料理が異常に大きいことが、ままあるということを。
日本の感覚、ましてやタイの屋台麺なんかの感覚(一杯が非常に少ない)で注文すると、その量の多さに泣きそうになることがよくあったんです。
で、やって来たのがこれです。
チョウメン、どーん!
ビリヤニ、どーん!!
注文したものはたいてい残さない友人も、さすがにギブアップしてました。笑
これ、いったい何人分なん?
・・・って、本当に疑問なんですが、
後から来た隣のインド人は、普通に1人用サイズっぽい量のお皿だったので、ちゃんとわかってて注文時に指示してるんでしょうね。
サールナート後編を一気に書いてしまおうと思ったんですが、長くなりそうなので、続きは次回に。
ではまた。