siam manao-life

バンコク生活の中で気づいたことや感じたことを書き連ねます。タイの生活情報やタイ語のあれこれ、タイ国内旅行、近隣諸国訪問なども織り交ぜながら。

タイのお坊さんはなぜ眉毛も剃るのか?

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こんにちは、まなおです。

みなさんは、タイのお坊さんに眉がないのをご存知でしょうか。
ないというか、剃っているんですが。

時々、短期間の出家を終えて還俗したばかりの男性を町なかで見かけることがありますが、彼らは眉がまだ生え揃ってなくて、見慣れるまではギョッとしてしまうことがあります。
日本では、眉がないとちょっと堅気じゃないような怖い印象を受けますよね。

なぜタイの僧侶は頭髪だけでなく眉毛も剃るのか?

今日は、そのあたりの話をしたいと思います。




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疑問の発端は「スリヨータイ」

先週、昔見たタイの歴史映画を20年ぶりにもう一度鑑賞してみたんです。

それは「スリヨータイ」(原題:สุริโยทัย/英題:The Legend of Suriyothai)という映画で、アユタヤー王朝時代にビルマ軍(ミャンマー)に立ち向かい戦死した王妃シー・スリヨータイの物語です。

スリヨータイ - Wikipedia


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(สุริโยไท - วิกิพีเดีย より)



この映画、2001年の公開で、非常に話題となった作品でした。
私もタイ人に誘われるがままに見に行ったんですが、当時、私はまだタイに来たばかり。
タイ語もタイの歴史や時代背景もまったくわからなかった私にはほとんど理解できず、睡魔と必死で戦った3時間でした。

あれから20年経って、ある程度タイ語の読み書きもできるようになった私が、この歴史映画の超大作「スリヨータイ」をどれくらい理解できるようになったのかも知りたくて、再度挑戦してみたくなったんです。

ちなみに、今回のは5時間の完全版。(3時間でも長かったのに、5時間って!)


結論から言うと、言葉に関しては撃沈でした。
この時代の背景や勢力関係などはある程度事前に理解していたので、ストーリー的にはそれなりに楽しめたんですが、やはり歴史的な言葉使いには苦戦し、王室用語や仏教用語のオンパレードに至ってはお手上げ状態でした。
まだまだ精進しないといけません。とほほ。

あと、同じ人物でも呼び方がコロコロ変わるの(官職や立場の違いから)とかも混乱しちゃいました。
けっこうハードル高いです。


そんなスリヨータイを見ていてる中で、ふとした疑問が。
出家した主人公の夫、つまり将来のアユタヤ王「チャックラパット王」が、僧籍にも関わらず眉毛があったんですよね。

てっきり、イケメン俳優だから眉を剃らせないという忖度が働いたのかと思い、タイ友に「なんでお坊さんなのに眉毛あるの?」と聞いてみたら、意外な返事が返ってきました。

この時代はまだ剃らなくてもよかったんじゃない?

えっ、昔からのきまりじゃなかったの!?
どういうこと?


そんなわけで、断然興味が沸いてきた、タイのお坊さんに眉毛がない問題なのでした。

眉剃りは戒律ではない

私、タイの僧侶が眉を剃っているのは、てっきりタイ仏教の(あるいは上座部仏教の)戒律だと思っていたのですが、どうやらそうではなく、あくまで「伝統的にそうしている」ということなのだそうです。
これははじめて知りました。

ちなみに、ラオスとカンボジアの僧侶はタイと同じように眉を剃りますが、ミャンマーの僧侶は剃らないそうです。

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ふたつの説

ネットでちょこっと調べたところ、どうやらふたつの大きな説があるようです。
ざっくり言うと、

  1. アユタヤ時代に、僧になりすまして潜り込んでくるビルマ軍のスパイと区別するため
  2. ラッタナコーシン朝(現チャクリー王朝)の初期に、僧になりすました貴族に国王の側室たちと密通させないため

ということらしいです。
(他にも、ラーマ4世時代に罪人と区別するために僧侶は眉を剃るようになったという説などもあります)


この2つの説について書かれているチュラロンコン大学の論文があるようで、散々ビルマからの攻撃を受けた(そして2度陥落した)アユタヤですから、ビルマ軍のスパイに悩まされていたのは想像に難くありませんし、チャクリー王朝時代には、実際に貴族が国王の側室と恋仲になったという話も史実としてあり、比較的監視の緩い僧侶に扮装して宮殿に潜り込んだということもあったのでしょう。(だから、本物の僧侶には眉を剃らせて区別できるようにした)

ただ、この論文は、あくまでそういう「言い伝え」があるということに留まっており、タイの僧侶が眉を剃るようになった時期や理由についての確証がありません


はじまりはアユタヤ時代?

このように、現時点で、「いつから」「なぜ」タイの僧侶が眉を剃るようになったのかということは、確証がなく明らかにされていないのですが、いくつかの歴史上の書簡や記録から、ある程度推測はできそうです。

17世紀、アユタヤ時代後期のナーラーイ王の治世(1633-1688年)に活躍したフランス人外交官シモン・ド・ラ・ルベールの書簡には、「僧は髭と頭髪と眉を剃っている」という記載が残っています。

つまり、この時代には、既にタイの僧侶は眉を剃っていたことになるので、2.のラッタナコーシン朝説は消えることになります。(少なくとも起源ではない)

すると、ビルマ軍のスパイと見分けるため説が有力となるでしょうか。

ナーラーイ王の時代のその前にビルマ軍からの攻撃を激しく受けた時期と言えば、まさにスリヨータイ妃チャックラパット王、そしてナレースワン王にに至るまでの時代(16世紀後半)となりますが、この頃から眉を剃るようになったのでしょうか?

ところが、それも少し疑問符がつきます。
というのも、17世紀の初頭に書かれたオランダ人商人の記録には、僧侶の眉に関する記述がないのです。

1636年に東インド会社のオランダ人Joost Schoutenという人が「僧侶は頭髪を剃っている」と書いた記録があり、同時期に東インド会社に勤めていた別のオランダ人Jeremias van Vlietも、シャム王国に関する記述の中で「僧侶は頭髪を剃っている」と書いているのですが、両者とも眉に関しては一切触れていません

もちろん、眉に関しては単に気に留めていなかっただけという可能性もなくはないですが、1600年前半(17世紀前半)ではまだタイの僧侶は眉を剃っていなかったのではないかという推測も成り立つのです。


一方、先に述べたようにタイ、ラオス、カンボジアの僧侶は眉を剃っていますが、実はスリランカの僧侶も眉を剃ります。
それで、これはもしかしたら、ミャンマーとの戦争とは関係なく、スリランカ仏教のシャム派に由来する習慣なのかもしれないという説もあるそうです。

 

というか、ビルマ軍のスパイも眉を剃ればよくない?(スパイならそんな情報くらい容易に入手できるでしょうに)


いずれにしても、タイの僧侶が眉を剃るその起源や理由は定かではありませんが(結局…笑)、少なくともそれは戒律ではなく、昔はタイの僧侶も眉を剃っていなかった可能性もあるとは言えそうです。



以上、タイの僧侶の眉毛にまつわる話でした。


ではまた。



参考サイト

www.silpa-mag.com


https://mgronline.com/daily/detail/9630000117594