タイの仮面劇や影絵芝居、人形劇なんかにそこそこ興味があるまなおです。
さてさて。
先日のワットポー230年記念イベントで鑑賞してきたタイの伝統仮面劇(コーン)の演目『ナーラーイ神のノントゥック征伐(นารายณ์ปราบนนทุก)』は、昔タイ語学校で習った鬼の話だったんです。
当時授業で習ったのは、簡単なタイ語で書かれたあらすじ程度の文章でしたが、タイ語で読んだ初めての昔話(おそらく)だったので、強く印象に残っています。
今思えば、その頃からラーマキエンとかに興味を持ち始めた気がします。
今回は、先日撮ってきた写真と共にこのノントゥックという鬼の物語を紹介したいと思います。
ラーマキエンについて
ラーマキエンというのは、古代インドの大叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ版で、昔から宮廷芸術として翻訳・編纂が行われ、タイ古典文学や仮面劇(コーン:โขน)などタイ国内で独自の発展を遂げてきました。
国王がラーマ1世、ラーマ5世などと呼ばれるタイの王室とラーマキエンの関わりについては、以前書いた記事の中でも簡単に触れていますので、ご興味があればご一読ください。
インド起源のラーマキエンですが、今ではタイ文化とは切っても切り離せない存在となりました。
ラーマキエンは、ヴィシュヌ神の生まれ変わりであるラーマ王子が奪われたシーダー妃を奪還するため、ランカー国の羅刹王であり10の頭と20の腕を持つ鬼のトッサカンと壮絶な闘いを繰り広げる非常に壮大な長編物語です。
なぜトッサカンは神々をも脅かすほどの強靭な力を持って大暴れするようになったのか、そのはじまりは、トッサカンの前世におけるナーラーイ神(ナライ/ナーラーヤナとも)との因縁のエピソードにありました。
それではさっそく見ていきましょう。
ナーラーイ神のノントゥック征伐
足洗いの鬼
昔、シヴァ神が住む山のふもとにノントゥック(ノントック)という名の鬼がいました。
シヴァ神に拝謁しに行く天人(テワダー)の足を洗うのが彼の役目です。
足を洗ってもらう間、暇な天人たちはノントゥックの頭をなでたり叩いたり髪を引っこ抜いたりして遊んでいました。
天人に逆らってはいけないと、ノントゥックは天人たちの酷いいたずらにもひたすら耐え続けます。
しかし、とうとうノントゥックの頭は赤く禿げあがるほどになってしまいました。
それで、我慢できなくなったノントゥックは、シヴァ神の元へ直訴しに行ったのです。
シヴァ神からの贈り物(ダイアの指)
シヴァ神に謁見したノントゥックは、泣く泣く惨状を訴えます。
「私は長年真面目に洗足の仕事を続けてきました。それなのにこんな酷い仕打ちを受けるなんてあんまりです!」
不憫に思ったシヴァ神はノントゥックに褒美としてダイアモンドの指を授けます。
このダイアモンドの指というのは、指さした相手が死んでしまうという恐ろしい代物なんです。(そんなのを褒美でやるなよ・・・というのはおいといて)
ノントゥックの仕返し
山のふもとに戻ったノントゥックは、積年の恨みを晴らすため、頭を触ってきた天人(神々)をダイアモンドの指で殺しはじめました。
多くの天人たちが次々とノントゥックに殺され天界は大混乱に陥ります。
このことがシヴァ神の耳に届くと、シヴァ神はナーラーイ神(ヴィシュヌ神の別名)にノントゥックを成敗するようお命じになります。
ナーラーイ神の策略
ナーラーイ神は美女に変身してノントゥックの前に姿を現します。
そんなこととは露知らず、この美女に一目ぼれをしたノントゥックは口説き始めます。
するとその美女はこう言いました。
「もしあなたが私が踊る通りに踊ることができれば、私はあなたのものになります」
そんなことは造作もないと気をよくしたノントゥックはその美女が舞う踊りを真似て踊り始めます。
そして、美女が踊りながら指を自分の足に向けたとき、ノントゥックも自分を指さしてしまい、その場に崩れ落ちてしまうのです。
ノントゥックの転生
美女から元の姿に戻ったナーラーイ神を見たノントゥックは、息も絶え絶えにこう言います。
「強大なパワーを持つナーラーイ神ともあろう方が、女に化けて私をだますような手を使うとは。4本の腕を持つナーラーイ神に2本の腕の私が勝てるわけがない!!」
その言葉を受けて、ナーラーイ神はこうこたえました。
「ならば、来世でお前は10の頭と20の腕を持つものに転生させてやろう。空も飛ぶことができ、20の手にはあらゆる種類の武器を授けよう。そして私は2本の腕の人間と生まれ変わり、必ずやお前をもう一度倒して見せようぞ」
そして、ナーラーイ神はノントゥックの息の根を止めたのです。
こうして、ノントゥックは10の頭と20の腕を持つトッサカンとして転生し、ナーラーイ神(ヴィシュヌ神)はラーマ王子として生まれ変わり、双方大軍を率いての壮烈な闘いが繰り広げられることとなるのです。
まとめ
いかがでしたか?
ノントゥックにちょっと同情してしまうような要素もありますよね。
シヴァ神にしてもナライ神にしても、争いの火種をまいたり焚きつけたりしたのは、そもそも神様ご自身なのでは?というような印象も受けます。笑
(もっとも、全部承知の上でお試しになっているのかもしれませんが)
古典文学のラーマキエンだとか伝統仮面劇(コーン)とかいうと、堅苦しくて退屈そうだと敬遠されがちですが、このように大まかな物語のあらすじを知ったうえで鑑賞すると、なかなか面白いものですよ。
機会があればぜひ。
ではまた。